MIZUMA ART GALLERY


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EXHIBITION ⁄ 展覧会・イベント

2004/04/08 - 2004/05/08
Mario A. "The World Is Beautiful"

この度マリオ・Aの8年間のアーティスト活動の集大成として、3月に作品集(解説・市原研太郎)を出版、4月8日〜 5月8日、ミヅマ・アート・ギャラリーにてMario A. 「The World Is Beautiful」展を開催いたします。この個展では、「The World Is Beautiful」(2004)および「ROBERTO」(1899-2004)という2つのテーマに基き、いくつかの作品が初公開されます。
各テーマにつきましては下記をご参照ください。


出品予定:
・Japanese Cultural Assets 日本文化財(2002年〜)
・UXOM(2002年〜)
・This is not a Duchamp(2001年〜)PRESS RELEASE
・NRP (New Radical Painting) Picabia.com(2000年〜)
・Japanese Anime Love (2000年〜)
・The Bride Stripped Bare by Her Dogs, Even(1998年〜)



ROBERTO
2004年
単独インスタレーション(約 4 x 25メートル)
写真、彫刻(人形)、世界地図


ROBERTO は、ローマ(RO)、ベルリン(BER)、東京(TO)の頭文字で、1899年から2004年までの105年の歳月と、マリオ・Aの一族の親密な物語を映した新作である。

ROBERTO は、家族アルバムの中に見られるようなスナップショットと、パフォーマンス映像のイメージを、それにまつわる歴史についての調査結果と対位的に配置する、双方の要素を織り混ぜ展開を試みる手法によって、6人の人間の個人史について語ろうとする概念的な作品である。4 x 25mのインスタレーションの一部は、"tafazzi"(自らのペニスを殴り続けるイタリアの人形)に見立てたムッソリーニの彫刻と世界地図によって構成される。

作品の主要部分は、作家の3人の父親、一人の母親、一人の祖父の伝記的なコンテクストを基にしており、あまり世に知られてはいない、しかし非凡な6人の個人の人生の実話について詳しく語り、互いの物語を結びつけようとしている。

ROBERTOのために、ベルリンにおいて、第2次大戦中の枢軸国を形成していた日独伊3名の表現者によって、3日間にわたるパフォーマンスが行われた。
・ マリア(30歳)、現代舞踏家、ローマ
・ アンネ (17歳)、高校生 、ベルリン
・ ナオミ(19歳)、パフォーマー、東京

アーティストであるマリオ・Aは、歴史的/文化的な現実や、時間や異社会との関係といった、我々個人を取り巻く環境を定義する解説や弁証法的な議論を生み出そうとする。しかしまた異なる側面において、アーティスト本人の個人的なカタルシスとしてこの作品を捉えている。

The World Is Beautiful
(Die Welt ist schoen), 2004年

二つのサイズ;
c-print 12枚 約 70 x 100 cm, edition 7
c-print 12枚 約 42 x 50 cm, edition 7

マリオ・Aにとって、この作品を作るきっかけとなったこととは何であろうか?
1)アルベルト・レンガー=パッチュの《The World Is Beautiful》(1928年)であろうか?それとも、2)マリオ・Aの新しいミューズ「美術子」であろうか?

1920年代および30年代のドイツの写真は、客観性ないし実験の可能性がある学問という、2つの非常に明確な、しかし互いに異なる流れによって発展した。

新即物主義派は、アルベルト・レンガー=パッチュ、カール・ブロッスフェルト、アウグスト・ザンダーに代表される。また、バウハウスの実験的な美学はラズロ・モホリ=ナジによって再現された。T.ラックス・ファイニンガーとオスカー・シュレンマーによってデザインされ、、Irene Bayerによって撮影された超現実的なバウハウスの制作集団あった。
アルベルト・レンガー=パッチュは、1928年に出版した写真集《The World Is Beautiful》によって、「新即物主義」("Neue Sachlichkeit" :ノイエ・ザハリヒカイト)の主唱者として有名になった。この写真集は、日常世界においてその平凡さゆえに彼の関心を惹いたありとあらゆるもの−実用的な物から建物、風景、植物、動物、一般の群集などといったもの−の100枚の焦点をきつく絞った写真や接写(クローズアップ)写真によって構成されている。
この写真集は、「写真がついに絵画の束縛から開放された」ことを明言していたため、同時代の彼の多くの仲間たちによって、「新事実」 (Offenbarung)として熱烈に賞賛された。一方で、ワルター・ベンヤミンのように、認知するべきキャパシティーが不十分であるという手厳しい批判もあった。
ベルトルト・ブレヒトの理論によれば、現実の単純再生産は、真実性(およびその社会的意味)を明らかにすることはできないという。1920年代の即物主義 -主観的な表現主義を、1950年代の客観的実在に固執するリアリズムに結びつけたベッヒャー夫妻以降、この客観的なものの見方はヨーロッパをはじめとする各地の写真芸術の世界に影響を及ぼし、今日注目を集めているアンドレアス・グルスキー、トーマス・ルフ、トーマス・シュトゥルートといった写真家の作品にも顕著に認めることができる。
"イタリア系ドイツ系日本人"であるマリオ・Aは、ドイツ人アルベルト・レンガー=パッチュの《The World Is Beautiful》という悲愴なタイトルに挑もうとする。「もの」をあるがまま、目に見えるままに写すことにはどのような意味があるのであろうか?現代美術史の文脈において「純粋派」であることはどのような意味を持つのであろうか?ベッヒャー、グルスキーらは、なぜ今日これほどまでに評価されているのだろか?

マリオ・Aは、彼自身の「The World Is Beautiful」によってその答えを提示しようとする。イタリア美術史において、キッチュな意味あいを持つ「bella/bello」の語を心にとどめつつ、(学問としての美術における)日本の美と、イタリアの保守的な美学もしくはバルチュス的な視点との融合を試みる。アルベルト・レンガー=パッチュの白黒写真に対し、マリオ・Aはカラー写真を用い、新たなコンテクストにおいて新しい目的を提示する。目に映るがままを素直に写真に収めるというアルブレヒト・レンガー=パッチェの主張に対し、マリオ・Aは、日本庭園や日本の公園といった今日自然だと思われているが、実は人間が作り上げた人工的なものを恣意的に撮影することした。

「世界」という言葉はどのような意味を持ち得るであろうか?
「美」という言葉はどのような意味を持ち得るであろうか?
今日の世界において、政治的なコンテクストにおいて「世界」という言葉を用いることはどのような意味を持つだろうか?第4の世界、発展途上国においてはどうであろうか?レニ・リーフェンシュタールのファシスト的な美の世界はどうであろうか?我々にとっての自然界とは何であろうか?またそれは誰のものであろうか?「美」「schoen」「bella」「きれい」(「かわいい」)という語のニュアンスとはどういったものであろうか?
今日、誰か世界は美しいとはっきり言えるだろうか?

マリオ・Aはこれらの絵葉書を制作するのに精神的ストレスを抱えているのだろうか?マリオ・Aは、日本女性を愛しながらも「美しい」環境を否定するという逆説的な精神状態に耐えられるのであろうか?

画集出版のお知らせ:

「マリオ・A 日本美術家」
(解説・市原研太郎、A4、152ページ、論創社、定価5000円)
ギャラリーにてお買い求めできます。